三増合戦場碑
1569年、武田信玄は後北条氏の居城である小田原城を包囲して攻めるが、わずか4日で撤退(ガチ攻勢ではなく示威行動だったと思われる)
その撤退途中の武田軍を三増峠にて甲州街道守備軍の北条氏照や秩父方面守備軍の北条氏邦らが襲撃
序盤は北条軍優勢であったが、山県昌景率いる武田の別動隊が志田峠からの奇襲を成功させて形勢は一気に逆転
武田軍は甲州への帰還を果たすが、この戦は両軍合わせて死者約4000人(武田氏の「甲陽軍鑑」によると北条方3269人、武田方900人)という戦国史上最大の山岳戦となった模様
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Comments (2)
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史跡巡り、いいですねー。北条側、奇襲した割にけっこう多大な損害出してるんですね。それだけ武田側はやっぱり強かったんでしょうかねぇ。
07-23-2024 00:43 はちみ (5)
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>はちみさん
北条勢は小田原からの援軍が到着してから夜襲を仕掛けたかったけど、信玄が無防備な補給部隊を敢えてチラつかせ、それに血気盛んな北条綱成(玉縄城主)が食いついてしまって予定外の開戦となったのがアカンかったという説があるようです
一方武田側視点で見ても千人近くの兵士(浅利信種や浦野重秀といった武将も含む)を失った代わりに得たものは特になく、結局誰も得しない戦いだったと言えそうですね…07-24-2024 23:41 noss (3)
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