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2020_0927_170918 もうすぐ全廃? 京阪5000系

Photos: 2020_0927_170918 もうすぐ全廃? 京阪5000系

Photos: 2020_1101_163708 5000系 Photos: 2020_0628_132849 5000系淀屋橋行準急

この5000系電車 片側に5カ所もドアがあります。
そのうち2カ所はラッシュ時専用ドアで普段は締め切られています。
5カ所の扉を使っているときはその分座席が少ないのですが、
締め切られたラッシュドアの前には椅子が設置されて普段は他の電車よりもむしろ座席が少し多くなります。
http://photozou.jp/photo/show/251552/221593922
その座席はどこからやってくるかというと
https://www.youtube.com/watch?v=zQg2m8IviU4
なかなか凝った構造です。
ラッシュ時は座席が減った分実質的に乗客が増えることや、このような凝った構造を積んていることから車体重量を抑えるために当時はまだ採用例が少なかったアルミ合金製の車体になっています。当時はアルミの加工技術が未熟で、とても角ばったスマートさに欠けるデザインですが1両当たり10トン以上軽くなっています。

この5000系が登場したのは昭和45年 高度成長の末期です。
昭和40年台前半、京阪沿線では大阪市内と、隣接する守口市・門真市あたりまではほぼ開発し尽くされ、さらに郊外の寝屋川市・枚方市のベッドタウン化が急速に進んで通勤客の増加が著しくなり、電車は増発と増結を繰り返していました。
増結・増発するためには電車の絶対数を増やすことと、車体を大型化して収容人数を増やすこと、加速・減速性能を上げて運転間隔を詰めることが基本です。
そのために昭和30年代の後半から毎年数十両単位で大型車体で加速・減速性能の優れた新車を増備して停車駅の多い区間急行・普通に充当する一方で、旧型車は改造で大型の車体に載せ替えて、加速・減速の回数の少ない急行や準急に充当するという策がとられました。改造に当たっては一部の先頭車を中間車にして、使わない中間に挟み込まれた運転室スペースを客室に使うということも行われています。

ですが、増発と言っても当時は大阪市内からの複々線は守口市まで、そこから京都側は複線で最大でも1時間当たり30本程度が限界ですでに限界が見えていました。
一方増結も、当時の架線電圧は600Vで、流せる電流の制限から7両編成が限界でそれも限界が見えてきていました。

運転本数がほぼ限界に達していた守口市~寝屋川信号所間の複々線化は既に用地買収などは始まっていましたが完成までにはまだ10年くらいはかかる見込み。
架線電圧の昇圧による8両編成以上の増結はまだ大阪市電・京都市電との平面交差との兼ね合いで、目途が立たない状態でした。
また、並行する地下鉄谷町線の延長・増結や片町線の増結・近代化にももう5~6年はかかる見込みでした。

ところが混雑の逼迫していた守口市~寝屋川市間ではこの区間を各駅に止まる区間急行・普通電車はせっかく加速・減速性能の良い電車を投入しても乗降に手間取り、後続の急行や準急にも影響を及ぼしてダイヤ通りの運転が難しくなるという限界に達したことを示す現象が出始めていました。

そこで複々線の延伸工事が完成するまでの凌ぎとして考え出されたのがこの5000系電車です。加速・減速性能に加えて停車時間を短縮して何とかダイヤ通りの運転ができるようにと考えられました。
扉を3→5カ所にすれば60秒の停車時間が40秒に短縮できる筈です。同時に座席が減るので
詰め込みも効きます。
そこで朝のラッシュのピーク時に寝屋川市→守口市間を通る区間急行・普通にこの5000系を集中的に運用し、複々線が完成する昭和55年までこの運用が続けられなんとかラッシュを乗り切ることに成功しました。
(途中、昭和51年に守口市~門真市間の複々線が部分開通した時に、さらに1本増備されています。)

昭和55年、漸く守口市~寝屋川信号所間の複々線が完成し、当初の5000系の役割は終了しましたが、この頃にはさらにベッドタウン化は枚方市北部の樟葉や京都府下の八幡市まで拡大し、今度は逼迫区間が複線で残った寝屋川市~枚方市間に移りましたので5000系は枚方市や樟葉始発の急行や準急に充当されるようになりました。

さらに昭和58年になると、すでに大阪市電も京都市電も廃止となり、車両の改造も完了して架線電圧の600V→1500Vへの昇圧が実現して、混雑列車の7→8両編成化も実現し、寝屋川市~枚方市間の混雑も大幅に緩和されました。(昇圧で電車のパワーも上がり加速が良くなってダイヤにも余裕が生まれます。)

ところが京都市内には駅の前後が踏切に挟まれて8両編成に対応してホームを延伸することのできない駅(伏見桃山・東福寺駅)があり、ラッシュ時でもここに停車する京都始発となる通勤準急・準急・普通には8両編成が充当できないので、7両編成が混じることになり、今はこれらの列車に5000系が充当されています。

このように45年間に亘って適材適所に運用されてきた5000系ですが、少子高齢化が進んだことに加えて経済の首都圏集中による関西圏の地盤沈下もあって乗客は減少傾向にありその役目も終わりつつありました。

その矢先の2016年、国土交通省から相次ぐホームからの転落事故を受け、乗降客10万人以上の駅には平成20年度までにホームドアを設置すること、車両のドアのばらつきやホームの幅が狭いなど横開き式のホームドア設置条件が整わない駅も、平成21年度までを目途にロープ式や昇降バー式など新型のホームドアを設置すること、との要請が出されました。

この5000系電車はあまりにドアの位置が変則的でドアの数も多く、その上必要性も薄れてきた機能のためにホームドア側で特殊な対応をするのは得策でないと判断されたのでしょうか。もっと古い車両があるにも拘わらず、この5000系は20年度中に全廃されることが決まっています。
↓ このドアとドアの間隔が狭いところがどうしようもないのだと思います。
http://photozou.jp/photo/show/251552/237127360

安全優先で止む無しとはいえ、このユニークな電車が寿命の残して引退するのはとても勿体ない気がします。

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